ホーローからアンティークを解いてみたら〜メルマガ掲載記事より〜

2021年11月4日

▲フランスらしいキャニスター

キレイに並ぶ6個のキャニスター、眺めていると口角が上がってしまいます(*^^*)
まるで家族写真のようにも見えませんか?
セットで揃うアンティークのお品は大変珍しく、店内でもひときわ目立っています。

キャニスターの側面には、フランス語で、
「the(お茶)」「epices(スパイス)」「poivre(コショウ)」「sucre(シュガー)」「farine(小麦)」「cafe(コーヒー)」と、描かれています。
フランスらしいお洒落なレタリングと全体のデザインが心をくすぐります♪
単体でも素敵ですが、大きさが少しずつ変化した6個をセットにして並べると、これが完成形だと納得します。

現在では一般的ですが、今から100年近く前に普段使いのキッチン用具であるキャニスターでさえこんな素敵なレタリングが施されているという事は、日常にデザインがあふれていた訳で、豊かな時代だなぁと感じます。

フランスアンティーク界でのデザイン的な歴史を大きく分けると、ロココ調、ネオクラッシック、アールヌーヴォー、アールデコが挙げられます。(先続きますが今回はここで区切ります)
ロココ調(装飾有り)→ネオクラッシック(装飾少し)→アールヌーヴォー(装飾有り)→アールデコ(装飾少し)と、「装飾有り→少し」が繰り返されています。

装飾の元は、おそらくヴェルサイユ宮殿ではないかと推測します。
1624年、ルイ13世が狩猟用のロッジとして建てたのを機に、ルイ14世がフランス絶対王政の象徴的建造物として増築し、更に噴水庭園を造り、宮殿をつくり上げました。王族と、その臣下が共に住むヴェルサイユ宮殿は、生活のすべてが絶対王政の実現のために利用され、その結果さまざまなルール、エチケット、マナーが生まれました。それと同時に、建築家や芸術家、高水準に達した職人たちが育ちました。

その後、ルイ15世が王位につく頃から、ロココ様式という洗練された装飾様式も台頭してきます。
ルイ14世が主導したヴェルサイユ宮殿でのマナーや慣習、儀式に飽き飽きしていたルイ15世。時代の空気は少し変わり、デザインの分野でも自由なスタイルが採用されるようになりました。王の威厳を象徴する華々しいモチーフも、もう少しリラックスした優雅でエレガントな曲線を描くデザインに変わっていきました。

また、それまでベルサイユ宮殿にいた貴族達は、パリにある自分の屋敷に戻りました。お金をかけて新しく建て直すより、内装のみを新しいスタイルにしようという風潮が主流になりました。そのため、いわゆるロココ調とは、室内装飾に当てはまる様式で、建築のスタイルとしてはさほど大きな変化はありません。
ロココ様式のポイントは建築ではなく、高水準に達した職人の技による、華やかなインテリア装飾のことを指すのです。

あらゆるインテリア装飾が最も自由にクリエイティブに、そして高度な技術でつくられた、フランス宮廷文化最後の華々しい時代でした。

光があれば影があるのが世の常です。長年の王政に対する民衆の不満が爆発し、ルイ16世(妻マリーアントワネット)の時代にフランス革命が勃発、華々しさの終焉を迎えました。

革命が勃発するほどの民衆の不満。想像を絶します。
そんな大混乱の後、それまで王族や貴族からの注文で多忙だった職人たちは仕事が減ります。時代の転換期と共につくる内容も変化しますよね。プライドという壁を越えられない人、さっと切り替え民衆寄りのものを製作した人、転職した人、その後の芸術家や職人の人生も様々だったことでしょう。

同時に民衆にとっては、ずっと憧れていた装飾美あふれるインテリアなどが身近に感じられる機会になったでしょうね。民衆は王政に反対であっただけで、職人たちが創った作品などを憎んではおらず、無意識かもしれませんが、良いものは良いと認識していたはずです。

その証拠に、時代は巡ってもフランスで作られた家具や刺しゅうなど全てに優雅でエレガントな雰囲気を感じませんか?

こちらのキャニスターは約100年程前のお品です。華々しいヴェルサイユ宮殿の時代から100年以上経って作られた訳ですが、フランスの歴史の中で「装飾」という文化が根付き発展し、今も古さを感じないデザインは、クラッシック音楽を鑑賞する時と似た感動があります。それほどまでに、当時の技術やデザインなどが優れていたと考えられます。

実はこちら、イギリスで買い付けしています。フランスから引っ越してきた…嫁入り…お土産…果たしてどんな経緯でイギリスにやってきたのでしょうね♪

↑画像↑グラデーションの色味が可愛いエナメルキャニスター6個セット フランスアンティーク雑貨 eo171015

▲『琺瑯=ホーロー』漢字で表現すると新たな印象が

『琺瑯』一見難しく感じますが、よく見ると簡単な漢字の組み合わせで出来ています。
1つ注意する箇所は「瑯」の右側です。「郎」の旧字体を使います。(ご覧頂く環境により旧字体が文字化けするので、ここでは記載を控えますね)
そして「琺」は釉薬、「瑯」は金属や玉が触れ合う音、また美しい石という意味があります。

字源はサンスクリット語(古代インド語・紀元前5世紀~)で七宝質のことを言う“払菻嵌(フーリンカン)”に遡ると言われています。
「払菻嵌(フーリンカン)→払菻(フーリン)→発藍(ハツラン)→仏郎嵌(フーロウカン)→法郎(ホーロー)→琺瑯(ホーロー)」と、長い年月を経て変化してきた説が有力です。

ちなみに七宝とは、金・銀・瑠璃(るり)・玻璃(はり)・しゃこ・珊瑚(さんご)・瑪瑙(めのう)という7種類の宝物のことです。もともとは装飾品、美術品として製作されてきました。

最も古いホーロー製品はエーゲ海のミコノス島の発掘品と言われ、紀元前1425年頃と推定されており、金の表面の凹みに青色ガラスのホーローが充填されていたそうです。
やがてこの技術が東はキプロス島、西はギリシャ本土と二手に分かれ、一方はヨーロッパ方面(ドイツ、フランスなど)、片方は中東を経てアジア方面に伝播し、日本へは飛鳥時代に中国、朝鮮半島を介して渡ってきました。
その後1866年、徳川慶喜が第15代将軍となる頃、三重県桑名の広瀬与左衛門が鋳物の琺瑯を始めたと言われています。

1868年(明治元年)には、琺瑯業界の中でも有名なドイツ人のワグネル博士が来日しました。彼は日本で先端技術の導入や人材育成を行い、明治5年に「七宝」の講義を行った後、東京の銀座にアーレス商会を設立し「七宝」の普及に尽力しました。そして明治5年から明治14年にかけて、鋳物琺瑯鍋の製造・販売が始まりました。
その後、琺瑯釉薬も製造・販売され、明治14年には東京上野公園を会場とした勧業博覧会に鋳物琺瑯を出展しました。
勧業博覧会とは、国内の技術を紹介する有名な博覧会であり、その場所に鋳物の琺瑯製品を出展することで、多くの方々の注目を集めました。このように日本の「琺瑯の歴史」は、鋳物琺瑯から始まったのです。

鋳物琺瑯から銅琺瑯、そして琺瑯鉄器へと発展していきましたが、明治33年に有鉛琺瑯の製造が中止となりました。当時の琺瑯には鉛が入っており、釉薬として使用していた白玉(フリット)に鉛分が70%含有されていたからです。しかし、その後に兵庫県の釉薬の研究者(寺島さん)が「無鉛琺瑯釉薬」を開発しました。

それまでは、一般向けの琺瑯製品は「瀬戸引き」という名称で販売していましたが、有鉛報道により、「瀬戸引き」と名が付く製品は全く売れなくなりました。そこで、明治35年に「瀬戸引き」の名称をやめ、「琺瑯」の名称を採用して販売することになりました。「琺瑯」という言葉は学術用語でしたが、これを機に「琺瑯」という名が広まり現在に至ります♪

↑画像↑複数個あり!黒がかっこいいホーローシェード イギリスアンティーク照明 el121023

▲そもそもホーローって?

ホーロー(琺瑯)についてアレコレ書いた後、今さらですが(*^^*)
金属の下地にガラス質の釉薬をかけ、高い温度で焼き上げたものがホーローです。

前述のように、琺瑯は装飾品や美術品として作られた七宝焼きが主流でした。古くはツタンカーメンの黄金のマスクがそれにあたります。

それが現在のように身近になったのは、18~19世紀頃のイギリスが発端です。
鉄のサビ止めとして実用化されて以来、日用品が作られ、看板や医療用具、キッチン用品などに広く使われるようになりました。水まわりの日用品が鉄製が多かった時代、錆びにくいホーローは画期的で便利で喜ばれたことでしょう。ちなみに、イギリスではホーロー製品を総称して「エナメル」と呼ばれています。

アンティークのホーローは、ガラス質が欠けたアタリと呼ばれる箇所があります。そこを触ると、長い年月でゆっくり欠けたからか、刺々しくなくなめらかな手触りがします。また、ガラス質が厚めに重ねてある印象があり、更には取っ手などの溶接個所を見ると手づくり感のようなものを感じ愛着がわきます。

そんなアンティークのホーロー製品をHPでご覧になってみてください♪

↑画像↑レアな大きいサイズのエナメルジャグ イギリスアンティークホーロー雑貨 eo151206

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